ワイ、天パからの苦悩と立ち直るまでの軌跡を語る
ども Gawaです
…みんな!天然パーマって知ってます?(愚問)
そう、遺伝かなんかで髪の毛がクルクル(縮毛)した髪型のことです。
生まれた時から天パの人もいれば大きくなるにつれて天パになる人もいます。
俺は後者です。抜け毛がいつも縮れてます。
この天パにより過去に悩み、そして立ち直るまでの話を今日はしていきたいと思います。
■泣き叫んだ小学生時代
俺は小5くらいに天パになりました。
クラスのみんなが直毛でサラサラしてる中、俺だけ天パでした。あとメガネ。
それに加えてイジイジした性格でした。
そう、俺は天パクソメガネでした。
当時サラサラヘアーが良かった俺はとても落ち込みました。
両親に八つ当たりしたこともあります。「俺何でいきなり天パになるんだよ!」と。
あの頃の俺にとって天パはショッキングな出来事で、むせび泣きました。
俺「天然パーマはカッコ悪いんだよおおおおおおおおお!!」
俺「タッキーはサラサラなのにいいいいいいいいい!!」
俺「天パにカッコイイ人なんていないからあああああ!!!!」
タッキー&翼好きの俺にとって天パはとても耐え難いことでした。(共通点が無くなるから?)
天パにカッコイイ人はいないという間違った思考もしていました。
熱くビーナス、燃えてビーナスですね。
■一番苦しんだのは思春期
中学生になると人目を気にするようになりました。
目立つのが嫌な中学生時代に天パは最悪でした。
サラサラへアーの人が羨ましいと1万回くらい心の中で思ってました。
「あー俺もサラサラになりたい…」
「サラサラ最強すぎやろ…」
「天パで憧れてるのは大泉洋さんだけや」
とまぁこんな感じで直毛崇拝を掲げていましたね。
でも縮毛矯正は勇気がないのでやらないというチキンでした。
ちなみにこの頃の天パ度はかなりのものでした。
天パというかチリチリ?みたいな感じでホルモンバランスおかしいやろって自分でツッコんでました。
今はこんな感じで、天パの強度は全盛期に比べ弱りつつありますが…。
中学の頃は芸人で言うと東野幸治レベルのチリチリでした。
ちなみに鉛筆を髪の毛に20本くらい刺しても落ちないくらいのクルンクルンでした。
バレンタインデーでチョコ0個だったのも天パのせいにしておきましょう。
■ある1つの転機が俺を救う
天パをコンプレックスとして生きてきた俺に、ある転機が訪れます。
それは妹と雑談をしていた時のことです。
ある妹の一言で俺は救われました。
妹「何でもかんでも天パのせいにするなよ」
俺「いやでもお前は天パじゃねーからな」
妹「いいか、天パが嫌なら縮毛矯正なりすりゃいい。でもせずにオメーはいつまでもコンプレックスにしてウジウジしてやがる。オメーに足りないものは行動力だ。」
俺「……クッ…」
妹「私が好きな有名人も天パだけど、前向きで笑顔が眩しくてイケメンでウジウジしてるオメーとは180度違う」
まさに図星でした。妹に全てを見透かされていました。
そして気付かされました。俺は天パを盾にして逃げていたことに。
ダメだったのは天パではなく俺自身の弱い性格だったのです。
この一言で俺の中にある真っ黒な世界は崩れ落ち、白い光が差し込んできました。
■色々あって天パが好きになる
今では天パが好きになり、前向きに生きています。
縮毛矯正なりしてサラサラヘアーになろうかとも思ったんですが、何年もこの髪型でいると愛着みたいなものが湧いてくるんですよね。
とりあえずしばらくは天パのままでいようと思いました。
あと妹の言った言葉も忘れていません。
もう天パのせいにしない。強く生きる。
俺は心の奥に「天パ最高」と刻み込み、人生の再スタートを切りました。
サンキュー妹よ!!!
■まとめ
以上が俺が経験した「天パからの苦悩と立ち直るまでの軌跡を語る」です。
いかがだったでしょうか?
何もかも髪の毛のせいにしていたあの頃を振り返ると我ながら情けないなと思います。
大切なのは髪型じゃなくて…自分に正直であることですね。
俺はもう天パクソメガネじゃない!
天パポジティブメガネだ!
ということでね、これからも天パライフを送って生きたいと思いますよ!!
■衝撃の後日談
俺「おい妹よ、そういえばお前の好きな天パの有名人って誰よ?」
妹「えっ…」
俺「聞いてなかったやん。教えろよ俺に」
妹「……」
俺「名前聞くぐらいいだろ?」
妹「ぅん…」
俺「で、誰?」
俺「何で嘘つくの?」
終了